エリモダンディーとは、1994年生まれの競走馬である。重賞2勝を挙げた実力馬であるが、それ以上に現役中に急死という悲劇的な最期と、とあるGI馬との不思議な縁を語られることが多い馬である。
主な勝ち鞍
1997年:京阪杯(GIII)
1998年:日経新春杯(GII)
誕生~3歳
父ブライアンズタイム、母エリモフローレンス。父は説明不要の大種牡馬で、その4年目の産駒である。母は父父に説明不要の大種牡馬ニジンスキーを持つ長距離血統の馬である。
1994年にえりも農場で誕生。ちょうどこの年、父ブライアンズタイムの初年度産駒であるナリタブライアンがクラシックで大暴れ中。当然ながら大きな期待をかけられた当馬であったが、生まれが5月と遅かったこともあって大変に小柄であった。そんなもんだから牧場の他の馬からいじめを受けていたらしい。ちびがいじめのターゲットになるのはどの世界でも同じなんだな…それもあってかエリモダンディーは気にかけてくれる厩務員を始めとした人間に大変よくなつき、後ろをついて回っていたという。かわいい
えりも農場代表の山本氏が所有する形で、ナリタブライアンと同じく大久保正陽厩舎に入厩。相も変わらず人間にはよくなつき、また入厩時点では370kg程度と小柄な馬体ではあったもののきびきびとした良い走りを見せ、たちまち大久保厩舎の人気者となった。
一方でその小柄ゆえに栗東でも相変わらずほかの馬から威嚇されていたという。そこに割って入ってきた1頭。同じブライアンズタイムを父に持ち、同い年で、同じ大久保厩舎に入厩したシルクジャスティスである。ボテッとして走りそうにない体躯に荒い気性というエリモダンディーとは真逆もいいところな当馬であったが、ダンディーがいじめられているところに駆けつけて相手を威嚇し返すのであった。いつの間にやらエリモダンディーはシルクジャスティスを兄貴分と慕い、常に後ろをついて回っていたという。尊い…
そんな兄貴分よりもデビューは早く、新馬戦開始直後の96年6月、芝1000m。まだ400kgにも満たない馬体だったが、上がり3ハロンを34.9秒で駆け抜け初勝利を挙げた。しかしその後は2戦して掲示板にも入れず、3歳を終える。
4歳
明けて4歳になると500万下、オープン特別の若駒ステークスを連勝。続く重賞初挑戦となる共同通信杯では前走で朝日杯で好走したランニングゲイルを破ったこともあり2番人気を背負うが、1番人気メジロブライトの前に5着。それでも次走のすみれステークスを2着とし、GI皐月賞へと堂々と乗り込んだ。8番人気を背負った皐月賞本番では同じくブライアンズタイム産駒のサニーブライアンが逃げていく中最後方を進み、直線で猛然と追い込みにかかるがここは中山競馬場、サニーブライアンの逃げ切りを許す7着。
次走は日本ダービー、本馬は再び8番人気。ここには兄貴分シルクジャスティスも東上最終便こと京都4歳特別を勝って、3番人気で出走してきた。日本最高の舞台で、初めて共にレースを走ることができたのである。ドラマかな?肝心のレースはというと、またしてもサニーブライアンが逃げる中、最終直線でシルクジャスティスと共に猛烈に足を伸ばすがサニーブライアンは充分に余力を残していた。4着。
夏を休養にあて、秋は古馬混合のオープン戦から始動したものの世代の壁に跳ね返されて8頭立ての7着。続くトライアルの京都新聞杯は5着、再びシルクジャスティスと走った本番菊花賞は10着。ともに勝利したのは夏の上がり馬マチカネフクキタルであった。そして結果的に、この菊花賞が最後のGI挑戦にしてシルクジャスティスとともに走る最後のレースとなってしまったのである。
クラシックの結果を受け、エリモダンディーはジャパンカップ前日の京阪杯に出走。鞍上が名手武豊に乗り替わったこともあり世代の壁を破壊。初重賞制覇を果たして4歳を終えた。
5歳
有馬記念を制したシルクジャスティスとの古馬王道路線での再戦を目指す5歳の初戦は京都金杯。前走を受けて1番人気に押されるも、怒涛の3連勝でオープン馬まで駆け上がってきた同期のミッドナイトベットを捉えられず2着、重賞制覇を許すこととなった。
仕切り直して日経新春杯。メジロドーベルに次ぐ2番人気に押され、4角最後方から上がり34.6秒の豪脚で他の馬をねじ伏せて重賞2勝目。…が、本来ならば馬に乗ったままで検量室までもどってくるところを武騎手は馬場の途中で下馬。左足を骨折していたのであった。全治9か月の重傷であったが幸いにも予後不良までには至らず、復帰に向けて療養に入ることとなった。ファンもひとまず胸をなでおろしたことであろう。…その後更なる悲報が飛び込んでくるとも知らず。
2週間後、エリモダンディーは腸捻転でこの世を去った。一説には治療のため動けないことのよるストレスが原因ともいわれている。競走馬としてこれからが期待される中での故障、そして死であった。
そして残されたシルクジャスティスは次戦の阪神大賞典こそメジロブライトとのマッチレースを演じ僅差の2着に入るも、その後は精彩を欠き1度も勝利できなかった。シルクジャスティスと一緒に調教できる馬がエリモダンディーくらいしかおらず、十分な調教ができなくなったからといわれるが、ともに切磋琢磨してきた弟分がいなくなったことによる悲しみも原因なのかもしれない…
シルクジャスティスは2019年に亡くなった。今頃天国で再会し、ともに駆けているのだろうか。
血統表
*ブライアンズタイム Brian's Time 1985 黒鹿毛 |
Roberto 1969 鹿毛 |
Hail to Reason | Turn-to |
Nothirdchance | |||
Ranavaio | Nashua | ||
Rarelea | |||
Kelley's Day 1977 鹿毛 |
Graustark | Ribot | |
Flower Bowl | |||
Golden Trail | Hasty Road | ||
Sunny Vale | |||
エリモフローレンス 1990 鹿毛 FNo.9-f |
*イルドブルボン 1975 黒鹿毛 |
Nijinsky II | Northern Dancer |
Flaming Page | |||
Roseliere | Misti | ||
Peace Rose | |||
*デプグリーフ 1974 鹿毛 |
Vaguely Noble | ヴィエナ | |
Noble Lassie | |||
*デプス | Buckpasser | ||
Batteur | |||
競走馬の4代血統表 |
初重賞制覇 初GI
関連リンク
関連項目
- 5
- 0pt