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ナスノチグサ
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ナスノチグサNasuno Chigusa)とは、1970年生まれの日本競走馬鹿毛

桜花賞ナスカオリで、念をらした1973年オークス

な勝ち
1973年優駿牝馬(八大競走)
1974年新潟記念
1975年京王杯オータムハンデキャップ

概要

*パーソロンナスノホシ、Faux Tirageという血統。
メジロアサマヤマブキオーサクラショウリ、そして皇帝シンボリルドルフなどを輩出した70年~80年代の大種牡馬。ナスノチグサは6年産駒
ニュージーランドからの持込で、に短距離を走り、現役終盤は障害も走って特別2勝を含む23戦5勝。ナスノチグサは第3
フォウティラージュはイギリスで、1949年のセントジェームズパレスSの勝ちニュージーランド種牡馬入りし、1957年~58年のオセアニアリーディングサイアーいたらしい。日本でおなじみのところだとホーリックス血統表にもその名前が見える()。
2歳上の全に、1971年桜花賞ナスカオリがいる。

1970年3月27日栃木県那須牧場で誕生。那須牧場は潰れかけていたのを、馬主もしていた政治家河野一郎が買い取って整備し、菊花賞ナスノコトブキなどを輩出していた牧場河野一郎1965年に急死したため、息子でやはり馬主をしていた河野洋平が引き継ぎ、「ナスノ」の冠名を用いるオーナーブリーダーとして生産をしていた。
ちなみに2025年現在河野洋平息子河野二郎を代表として恵比寿株式会社那須牧場として栃木県で生産を続けており、僅かながら那須牧場名義で走らせているもいるほか、クィーンスプマンテハーツコンチェルトで知られる一口馬主クラブグリーンファームが那須牧場の生産を扱っている。

牧場では「」という幼名を与えられたナスノチグサだったが、2歳(現1歳)時、育成厩舎が竜巻で吹き飛ばされるというアクシデントに見舞われる。幸い、ナスノチグサは他のともどもそのときは厩舎に居なかったため難を逃れた。運の良さに加えて身体も強く、風邪ひとつひいたことがなかったそうな。
その一方、大人しかったのにチグサに似てとんでもなく気性が荒かったそうで、営も彼女の気性にはいろいろと手を焼かされたそうである。

※この記事では馬齢表記は当時のもの(数え年、現表記+1歳)を使用します。

那須の千草

姉の無念を晴らすべく

事に3歳となったナスノチグサは、東京競馬場の名門・稲葉幸夫厩舎に入厩。1972年7月23日、前年にナスカオリ八大競走初制覇を飾った厩舎所属の嶋田功上に迎え、東京・芝1100mの新馬戦デビューすると、ナスカオリということもあってか単勝1.4倍の断然の支持を受け、後に中京記念3着など重賞でもそこそこ活躍するタケデンパワーを5身ちぎり捨てる圧勝デビューでそれに応えた。

続く福島オープンも5身差で楽勝。だが福島3歳ステークスは後の朝日杯1番人気マミーブルーに3身差の2着に敗れ、しかもそのあと嶋田功が落負傷で頭蓋骨折、一時は意識不明の重体になる重傷を負い、しばらく乗れなくなってしまう。
しかし東京に戻ったナスノチグサは中島啓之代打で迎えてオープンを快勝、の好メンバー相手となった3歳ステークス重賞ユウシオのレコード勝ちに同タイムでクビ差の2着。府中3歳ステークスレコードで快勝し、3歳ラスト中山3歳ステークスではニットウチドリを蹴散らして3身差で圧勝。
7戦5勝2着2回という戦績で3歳を終え、重賞は未出走ながら、関東トップ格という評価を得ることになった。

ところが明けて4歳初戦、事に復帰した嶋田が戻った中山クイーンカップで1番人気に支持されながら、手にイレ込んでしまい7着に撃沈してしまう。稲葉師は「この気性では関西遠征は厳しい」と判断、桜花賞を断念し、標をオークス一本に絞って引き続き関東に残ることにした。この年の桜花賞には、関西で圧倒的な強さを見せていた絶対的大本キシュウローレルがいたということもあったのかもしれない。ニットウチドリに負けたけども。
ちなみに房でカリカリするチグサに対し、稲葉師は落ち着かせようと房に小動物を入れるという作戦を採った。小鳥ウサギなどを試したが、ヤギを入れたところ効果があったそうである。ヤギ……?

さて、そのクイーンカップからは同じ稲葉厩舎の、小島太が騎乗するレデースポートが同じく関東残留でオークスす路線に合流。ナスノチグサはフラワーカップ3着(レデースポート2着)のあと、トライアル4歳牝馬特別(東)(現:フローラS)にこちらもレデースポートとともに乗りこんだ。
ここには桜花賞で前述のキシュウローレルを蹴散らしたニットウチドリが断然人気で参戦してきたが、先行するも苦手の坂で脚が止まったニットウチドリを、レデースポートとともに差し切り、レデースポートに僅かにクビ差競り負けたものの2着で稲葉厩舎ワンツーを決める。桜花賞を圧勝したニットウチドリトライアルで先着したことで、ナスノチグサは同厩のライバルとともにオークスの最有力補に躍り出た。

というわけで迎えた優駿牝馬。他の桜花賞組はニットウチドリに全く手も足も出ていなかったので、トライアルワンツースリーがそのまま三強として人気を集めた。1番人気レデースポート、2番人気ナスノチグサ、3番人気ニットウチドリである。といっても三強それぞれ、ニットウチドリは短距離血統&坂苦手で不安、ナスノチグサもオークス10着の桜花賞だし、レデースポートは血統的には問題ないけど821番、と不安要素を抱えており、当時の馬券師も取捨選択に悩んだことだろう。
ともあれレースが始まる。ニットウチドリは好スタートから抑えて3番手の好位につけ、ナスノチグサはインの中団、レデースポートはやや後方につけた。向こう正面、レデースポートがめに進出開始。3コーナーニットウチドリ逃げを捕まえて先頭に出ると、ナスノチグサもインから進出して好位を伺う。そのままニットウチドリが後ろを離して直線を向いたとき、ナスノチグサとレデースポートがその後ろにぴったりとつけていた。前評判通りの三強の争い――だが、その決着は至極あっさりとついた。残り300m過ぎでレデースポートを振り切ったナスノチグサは、残り200mでニットウチドリを捕まえ、並ぶ間もなくかわした。あとは突き抜け独走、々と3身半差をつけてゴールへ駆け込んだ。

2年前に敗れた念をらす樫戴冠。嶋田功いわく、ナスカオリキックバックを嫌がるところがあったが、ナスノチグサは逆に闘争心を出すのだそうで、を理解し内で慢させて直線弾けさせた名手の手綱に導かれての快勝だった。嶋田功は前年のタケフブキに続いてオークス連覇。翌年もトウコウエルザで勝って3連覇という偉業を果たすことになる。なお2着ニットウチドリ、3着レデースポートで三強決着となった。当時3連単や3連複があったとしてもすげえ安そう。

千草のごとく駆けめぐる

オークスとなったナスノチグサは、なんと次走で安田記念に向かった。お、オークスが? 当時の安田記念は一介のハンデ重賞だったわけだが、それにしたってオークス開催となって以来、オークスの次走安田記念はもちろんこれが初。当たり前だ。4歳の出走自体8年ぶりである。そして結果は、覚醒の兆しを見せ始めていた1歳上の素質ハクホオショウの3着となかなかの好走を見せた。

夏休みを挟み、は最後の一冠・ビクトリアカップして古相手の京都牝馬特別から始動したが、なんとまたも嶋田功が負傷離脱してしまい、増沢末夫に乗り替わり。息が合わなかったか、レデースポート勝利の後ろでまさかのブービー12着撃沈(ついでにニットウチドリも8着)。
本番のビクトリアカップではオークス同様、1番人気レデースポート、2番人気ナスノチグサ、3番人気ニットウチドリとなったが、好位から末脚を伸ばしたものの、ケイリュウシンゲキの大逃げを楽な2番手で追ったニットウチドリがそのまま止まらず、2身半差をつけられて2着。オークスリベンジを果たされてしまった。

さて、当時は古標となるような限定の大レースなど特になかったのだが、ナスノチグサは5歳、6歳と現役を続けた。しかもほぼ休みイチペースで走り続けたのだから頭が下がる。
5歳金杯(東)13着、東京新聞杯8着。復帰した嶋田が戻っても中山牝馬ステークス6着、オープン4着、京王杯スプリングハンデ10着、オープン4着、安田記念5着と、人気を集めながら走が続いたが(だしフケだろうか?)、新潟に移動すると復調し、BSN杯2着、七夕賞3着を経て、新潟記念でスガノホマレらを蹴散らしてレコード4身差で圧勝。オークス以来1年3ヶぶりの勝利を挙げる(ちなみに古となってから重賞を勝ったオークスはヤマピット以来6年ぶり)オールカマー5着を経て天皇賞(秋)に果敢に挑み、6着とまずまずの結果。

6歳シーズンはそれほどパッとしなかったが、安田記念3着から調子を取り戻し、BSN杯2着、関屋記念3着、新潟記念3着と来て京王杯オータムハンデキャップでは同じ*パーソロン産駒の1歳下の二冠牝馬トウコウエルザとの熾叩き合いをクビ差制して重賞3勝を挙げた。その後はオールカマー天皇賞(秋)有馬記念と挑んだが9着、6着、12着に終わり現役引退。通算39戦8勝。

引退後は故郷の那須牧場で繁殖入り。6頭のを産み、第3ナスプリンス*リアルム)が新潟大賞典2着・福島記念3着、第4ナスタイザン(*ディクタス)が目黒記念2着などの結果を残した。
1985年以降は流産と不受胎が続き、1991年限りで繁殖を引退ナスノホシやナスカオリとともに功労として余生を送り、2001年3月死亡。31歳の大往生であった。

牝系は初ナスノマドカ(*ダイハード)が障害重賞マヤギャラクシーを出すなどして、このラインが辛うじてではあるが現在も残っており、最近でも2024年高知黒潮マイルCSを勝ったグラティアスグーが出ている。
ちなみにニットウチドリも直から重賞は出せなかったが、レデースポートはオークステンモンを産み、現役時代のリベンジを果たしている。

血統表

*パーソロン
1960 鹿毛
Milesian
1953 鹿毛
My Babu Djebel
Perfume
Oatflake Coup de Lyon
Avena
Paleo
1953 鹿毛
Pharis Pharos
Carissima
Calonice Abjer
Coronis
ナスノホシ
1962 黒鹿毛
FNo.13-a
Faux Tirage
1946 鹿毛
Big Game Bahram
Myrobella
Commotion Mieuxce
Riot
*ロゼッタ
1954 栗毛
Fair's Fair Fair Trial
Fairy Godmother
Rose Marie Autopay
Diversity

クロスPharos=Fairway 4×5(9.38%)、Tourbillon 5×5(6.25%)、Lady Juror 5×5(6.25%)、Blandford 5×5(6.25%)

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オークス京王杯AHYouTubeにあるのでそっちで見てください。

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