エイシンヒカリとは、2011年生まれの日本の競走馬である。芦毛の牡馬。
日本国外のG1レースを制した名馬であり、また大逃げをはじめとした数々の印象的なレース展開や、気性難にまつわる多くのエピソードから稀代の個性派とも呼ばれた。
通算成績15戦10勝[10-0-0-5](うち国内11戦8勝[8-0-0-3]、海外4戦2勝[2-0-0-2])。
主な勝ち鞍
2015年:香港カップ(G1)、毎日王冠(GII)、エプソムカップ(GIII)
2016年:イスパーン賞(G1)
概要
血統
父ディープインパクト、母*キャタリナ、母父Storm Cat。
父ディープインパクトは説明不要の日本競馬の主役。母父Storm Catはアメリカで一時代を築いた大種牡馬。この2頭はニックスにあると言われ、「父ディープ×母父Storm」配合からはダービー馬キズナ、桜花賞馬アユサンなどの活躍馬が出ている。母はアメリカで3勝にとどまったが兄にGI馬がいる。半姉に地方でGRANDAME-JAPANに2年連続で選ばれたエーシンクールディ、その子にフェアリーステークス(GIII)優勝馬のスマイルカナがいる。かなりの良血である。
デビュー ~ 破竹の4連勝
調教助手が初の騎乗で物の違いを感じるなど早くから素質の片鱗は見せていたが、体が弱かったためにデビューは3歳4月までずれ込む。到底春のクラシックなんて間に合わない。ということで坂口正則調教師は地道に使っていく方針を立てた。
岩田康誠を背に乗せたエイシンヒカリ。デビュー戦は4番手から抜け出し、初陣を見事に勝利で飾った。
転機となったのは、和田竜二を鞍上とした2戦目。外の2番手に一旦収まったエイシンヒカリであったが、首をあげ露骨に嫌がる素振りをみせる。それを見た和田は手綱を緩め、そのストレスを逃さんとした。解放されたエイシンヒカリは先頭を走っていた馬からハナを奪い、後続を置き去りにしそのままレースを逃げ切った。
こうして、「2番手以降を走るとストレスを感じる」というエイシンヒカリの性質を瞬時に見抜いた和田騎手のおかげで、エイシンヒカリがもっとも力を発揮する逃げ戦法が確立された。以降も逃げ切りで着実に勝利を重ね、あれよあれよとデビューから4連勝。半年間でオープンクラスにまで駆けあがり、つけた着差は合計13馬身半。この時点で競馬ファンはざわつき始めていたが、次戦でその名は一躍全競馬ファンの知るところになる。
伝説の逃げ切り(?) アイルランドトロフィー
5戦目に選んだのは、エイシンヒカリにとって初のオープン競争となるアイルランドトロフィー(OP)。綱をとったのは横山典弘騎手。4連勝が評価されたエイシンヒカリは、断然の1番人気でレースを迎えた。
抜群のスタートから大逃げを打ったエイシンヒカリ。直線に入っても差は縮まらず、「これは5連勝もらったか!?」――そう思ったのも束の間、直線半ばで突如、エイシンヒカリは外によれ始めた。最初は気にせず追っていた横山騎手だったが、追うごとに馬が馬場を斜めに横切るように走っていくため、右ムチを入れて修正を図る。ところが、戻るどころかさらに外へよれていき、コースを斜めに横切るようにしてエイシンヒカリは外ラチへ突っ込んでいく。最終的には横山騎手は諦めて、適度に矯正をしつつもとりあえずエイシンヒカリには走る方に集中させるようにした。
結局、軌道修正はかなわず、そのまま外ラチ間際でゴールに入線。あまりにも破天荒な走りに、観客席からはどよめきの声が上がった。
...え、結果? 逸走で競走中止? 内からかわされ惨敗?
この 狂騒 狂走劇は大きく取り上げられ、卓越した能力と、極めて気性の激しい面を併せ持つ「遅れてきた大物」として、競馬ファンにその名を知られるようになった。
しかし、次に挑んだ初の重賞挑戦となったチャレンジカップ(GIII)は9着に惨敗。この結果にショックを受ける人と「ほら見ろ所詮このレベルだ」とあざ笑う人との声が混ざる中、元々体質が弱かったこともあり、エイシンヒカリは翌年の春までゆっくりと英気を養った。
初重賞の春 充実の秋
4歳5月の都大路ステークス(OP)で戦列に復帰。鞍上に武豊を迎えると、グランデッツァを破って快勝。(ここから最終戦まで、すべて鞍上は武豊が務める。)
続く出走は、久々の重賞エプソムカップ(GIII)。デビュー以来すっと1番人気で出走してきた彼であったが、今回初めて1番人気を奪われる。しかし、差のない逃げから最後は1番人気サトノアラジンとの一騎打ちを制し、初の重賞タイトルを獲得する。
休養して秋は毎日王冠(GII)から始動。「スーパーGII」の名に違わず強力なメンバーが揃ったが、エイシンヒカリは1番人気で出走する。スロー気味の逃げから直線で粘ってディサイファ以下の追撃を封じ見事に勝利。
次戦は、初のGI挑戦となる天皇賞(秋)。ちなみに、この年の毎日王冠(GII)と天皇賞(秋)(GI)の開催日が、「1998年と同じ日付」であった。これに気づいた一部のマスコミやファンは、「武豊が鞍上」で「98年の毎日王冠を逃げ切って圧倒」し、「天皇賞(秋)で夭折」したサイレンススズカの勇姿をエイシンヒカリに重ねていた。もちろん武は決してそうは思っていなかったようだし、現実もドラマの筋書きのようにはいかないもので、天皇賞(秋)はクラレントに鈴をつけられて逃げられずリズムを崩したか、直線で全く踏ん張れず9着惨敗。あの日の無念を晴らす勝利、とはならなかった。
世界への初挑戦 香港カップ(G1)
次走には、招待された香港カップ(G1)を選択。エイシンヒカリは招待という扱いだったものの、単勝オッズは38倍の9番人気となっており、決して評価は高くなかった。そりゃまあ香港の人はこの馬の強いところは見てないだろうし、当時はオークス馬・ヌーヴォレコルトや前年度覇者・Designs On Rome、また英GIであるプリンスオブウェール(GI)の覇者Free Eagle、香港の強豪Blazing Speedなど強力なメンツが揃ってたし仕方ない。
ちなみに余談であるが、この日は「香港国際レースデー」にあたり、同日に複数の国際レースが予定されていた。この年は、当時としては史上最多となる10頭の日本馬が、曇天の沙田競馬場に乗り込んでいた。そんな中、メインレースである香港カップ(G1)の直前に行われた香港マイル(G1)では、モーリスが優勝。そのレースを目にしていた武は、「日本馬が勝って勢いをもらいました」と後に振り返っている。
そしてレースが始まる。「迷いなく行く」と決めていた武豊がうまく先手を奪うと、絶妙なペースで後続に脚を使わせていく。
しかしここで、鞍上の武はエイシンヒカリの走りに普段とは異なる様子があることを察知する。左手前でスタートを切ったが、右へ曲がる最初のコーナーに差しかかっても、右手前に変える素振りを見せず、逆手前のままで第1コーナーへ突っ込んでいった。
※手前・・・馬の走り方。右前脚よりも左前脚を前に出す「左手前」とその逆の「右手前」がある。右回りのコースは右手前、左回りのコースは左手前で走らないとコーナーを回る際、遠心力で外側にふくれてしまう。最後の直線では、走りやすい手前に替えて走りやすくする。(JRA・競馬用語辞典より)
一瞬戸惑った武であったが、そこは百戦錬磨の名騎手。エイシンヒカリが右へ行きたがっている様子を察知し、無理に手前を変えることはせず、あえて抑えることを優先し、逆手前のままでレースを進めた。無理に手前を替えることで意図しない方向へ進もうとしたり、リズムを崩したりするリスクを回避したのである。
最終直線に入ってもエイシンヒカリの脚は衰えず、先行勢を一気に捉えて突き放した。右にもたれる癖があったエイシンヒカリであるが、「カメラを搭載している車が右前を走っていたせいか、そちらへ行こうとせず、真っ直ぐ走ってくれた」(武)とのことで、もたれることなく一直線に駆け抜けた。
最後は、武が「ターフヴィジョンを見て、ラスト100mを残して勝利を確信した」と語るほどの圧巻の走りを見せ、内から迫ってきたヌーヴォレコルトを1馬身差で退けて1着で入線。2:00.60という当時のレースレコードでの勝利となった。初のGI制覇を海外で果たし、その実力を満天下に示した。
なお、武豊にとってはアドマイヤムーン以来8年ぶりの海外GI制覇であり、香港国際レースデーでの勝利は2001年にステイゴールドで香港ヴァーズを制して以来であった。ちなみに2着はヌーヴォレコルトで、日本馬によるワンツーフィニッシュとなった。
武豊はレース後、「先代オーナー(エイシンヒカリを所有する『栄進堂』の先代会長・平井豊光氏。2013年逝去)は香港競馬に力を注がれていた。『豊』で『光』が勝てば、きっと喜んでくれると思った」と、このレースにかけていた思いを明かした。
そして香港カップ(G1)といえば、覚醒前のサイレンススズカに武豊が志願して初騎乗し、その才能を確信した、いわば「伝説の始まり」のレースであった。そしてエイシンヒカリがそのレースを逃げ切り、新たな「伝説の始まり」を告げる。こじつけと思われるかもしれないが、縁というのは、どこでつながっているかわからないものだなぁ…と思うのである。
世界で結果を残したエイシンヒカリは、また春までの休養をとり次戦に備える。
仏→英の転戦発表
復帰後は、春の香港で開催されるクイーンエリザベス2世カップ(GI)を目指していたが、調子が上がらず回避。
回避したのはいいが、日本ではしばらく適距離の1800~2000mの大レースがない。どうするのかと思ったら、なんとフランス→
イギリスとGIを転戦する驚きのプランが発表される。欧州の強豪相手にどれほど歯が立つのかは未知数だが、11戦9勝とまだ底を見せていないところもあり、期待もまた大きかった。
シャンティイを駆け抜けた閃光 イスパーン賞(GI)
そして、休養明けで挑んだフランス・イスパーン賞(GI)。毎年使用されていたロンシャン競馬場が改修工事中だったため、この年はシャンティイ競馬場に会場を移して開催された。
日本代表としてフランスに遠征したエイシンヒカリを迎え撃つのは、前年度の仏ダービー馬で凱旋門賞でも3着に入ったNew Bay、ガネー賞(G1)を完勝し中2週で臨むDariyan、パリ大賞(G1)の勝ち馬Eruptなど、そうそうたるメンバーが顔をそろえていた。また、前日まで降り続いた雨によってシャンティイ競馬場は重馬場となっていた。その影響で、前日までは1番人気に押されていたエイシンヒカリであったが、現地ファンから「重馬場なら欧州馬有利だろう」と判断され、レース直前には4番人気に後退していた。
そしてレースが始まる。本来であればハナを奪って逃げるエイシンヒカリだが、この日は外枠から好スタートを切ったVadamosに前を取られ、2番手に甘んじる形でのスタート。鞍上の武は相手の出方を見て無理をせず、外に切り替えて2番手を追走した。
最終コーナーを馬群が回り直線に入ると、エイシンヒカリはVadamosを並ぶ間もなくかわして先頭に立つ。そこから武豊が気合を入れると、エイシンヒカリは一気に加速し、瞬く間に後続を突き放す。ゴール板が近づくにつれてその差は広がるばかりで、最終的に2着に10馬身差をつける圧巻の大差勝ちを収めた。
こうしてエイシンヒカリは、初のフランスの競馬場で、絡んでくる馬を捌き切り、さらに不良馬場を克服し、欧G1馬を含む欧州トップクラスの馬を相手に圧勝するという、どこに出しても恥ずかしくない圧倒的勝利で海外GI連勝を達成した。それと同時にディープ産駒牡馬としてはリアルインパクトに続く2頭目のGI複数勝利馬になった。ちなみに日本馬が日本以外の複数の国でGIを勝ったのはアグネスワールド以来2頭目である。
世界が認めた輝き 世界1位にランクイン
ここでIFHA(国際競馬統括機関連盟)が、2016年1月1日から6月5日までのレース結果を元に算出した「ワールドベストレースホースランキング」を6月10日に発表。イスパーン賞(GI)での大差勝ちが評価され、エイシンヒカリが129ポンドで単独世界1位の評価を受けた。
6月時点での結果ではあるが、日本馬の単独トップ評価は、2014年にドバイデューティフリー(GI)を制し130ポンドで年間首位となったジャスタウェイ以来2頭目となる快挙であった。
無念のイギリス遠征 ~ 帰国
次走は予定通りイギリスに移動。
女王陛下が毎年観戦に訪れる6月の名物開催・ロイヤルアスコットの中距離GI・プリンスオブウェールズステークス(GI)に出走。前回のイスパーン賞(GI)の勝ちっぷりから圧倒的一番人気を背負い、様々な理由はあったがFound、The Gray Gatsby以外の有力馬が軒並み回避し、6頭立てのレースとなった。レーシングポスト紙では『Monster from The East! (東洋より怪物来る!)』と一面で大特集を組む程であった。
しかし当時のアスコット競馬場は、不良馬場であった(有力馬の回避も主にこれが理由)。ここまでならイスパーン賞と変わりなかったのだがアスコット競馬場はアップダウンが激しく、ゴール前直線は全て上り坂というシャンティイ競馬場の比ではないタフなコースであり、また圧倒的一番人気ということもあって積極的に逃げることも叶わず、直線で完全にスタミナを失い6頭立ての6着に敗れてしまった。最下位とはいえ、タフさ比べになった展開になったためそこまで離された負けではなかったのはせめてもの救いか。馬場の悪さはかなり酷いものであり、ロイヤルアスコット開催に大雨がぶつかり、しかも馬場回復前にPoWが開催された運の悪さも多少はあったと思われる。
帰国後は休養を発表。なお、遠征の調子次第では凱旋門賞(GI)への挑戦案も浮上していたが、最終的には見送られることとなった。イスパーン賞が開催された「シャンティイ競馬場」は凱旋門賞の会場でもあったため、そこで圧勝を収めたエイシンヒカリにも大きな期待が寄せられており、また鞍上の武豊も凱旋門賞挑戦を熱望していたということもあったので、正直残念である。
帰国後~引退
休養明けのプランは、国内レースである天皇賞(秋)(GI)に標準を合わせることが発表された。また間もなくして年内限りでの引退を表明し、ラストランは前年に続く連覇を目指して香港カップ(GI)に挑戦することが発表された。
そして、国内での最終戦となる天皇賞(秋)(GI)。2番人気に推されたエイシンヒカリは、これまで通りの逃げを打ったが、マイペースというよりも精彩を欠く走りとなり、直線ではあっさりと沈み、12着という生涯最低着順に終わった。
そして迎えたラストラン、香港カップ(GI)。前年の覇者として臨んだが、人気はモーリスに次ぐ2番人気にとどまった。レースでは好枠を生かしてハナを奪うと、向正面から徐々にペースを引き上げ、第4コーナーでは後続に10馬身の差をつける大逃げを打ち見せ場を作る。しかし、最後の150メートル地点でモーリスに並ばれると一気に失速。競走馬としての最終戦は10着に終わった。イスパーン賞の衝撃を思えば物足りない最後だったが、クセ馬だったのは元々だし、仕方ないといえば仕方ないのか…。
ちなみに、6月時点で世界1位だった「ワールドベストレースホースランキング」だが、2016年後半の敗戦の影響もあり、年間ランキングではエイシンヒカリとモーリスが127ポンドで第5位タイという結果となった。
種牡馬へ
引退後は北海道新ひだか町のレックススタッドにて、種牡馬として第2の馬生をスタート。(2020年9月16日からはイーストスタッドへ移動。)
初年度となる2018年度産駒が2020年からデビュー。ホッカイドウ競馬の第4回門別競馬2日目の第8競走「JRA認定アタックチャレンジ競走(外1000m)」において、エイシンシトリンが産駒初勝利。また、小倉の2歳未勝利戦(芝1200m)でエイシンヒテンがJRA初勝利。
2025年時点では地方重賞を勝利する産駒は現れるものの、いまだ中央重賞をとる産駒は現れていない。今後の活躍に期待したい。
この馬について
通算成績は15戦10勝。勝率66%という高い数字を残した。国内G1こそ取れなかったが世界を股にかけて活躍し、海外G1レース2勝という結果を残した。何より中間結果とはいえ、「世界ランキング単独1位」も経験したこともある名馬であった。
ただし、戦績の内訳 [10-0-0-5] が示す通り、安定して勝利を収めたかと思えば、負けるときは掲示板にも入らない惨敗を喫するなど、どこか危うい雰囲気も纏っていた。逆に勝つときはフランスでの大差勝利を記録するなど、派手な勝ち方をする華のある馬であった。
ちなみに、言われないとわからないがエイシンヒカリは芦毛である。パッと見真っ黒だがメンコを外した写真を見ると何となくそれっぽく見える。年を食うと芦毛は白くなっていくものだがヒカリは年を食っても真っ黒であるため勘違いをされる。5歳になって、芦毛だと知っていればそうかもね、と思える程度にはほんのわずかだけ白くなってきた(尾の付け根に近いところの毛色はわかりやすく白くなっている)。この世代のディープインパクト産駒の芦毛はエイシンヒカリただ1頭だそうで、出走頭数が少ない割に好成績を上げる「芦毛のディープ」のジンクスもまだ続く…かもしれない。
血統表
ディープインパクト 2002 鹿毛 |
*サンデーサイレンス 1986 青鹿毛 |
Halo | Hail to Reason |
Cosmah | |||
Wishing Well | Understanding | ||
Mountain Flower | |||
*ウインドインハーヘア 1991 鹿毛 |
Alzao | Lyphard | |
Lady Rebecca | |||
Burghclere | Busted | ||
Highclere | |||
*キャタリナ 1994 芦毛 FNo.16-g |
Storm Cat 1983 黒鹿毛 |
Storm Bird | Northern Dancer |
South Ocean | |||
Terlingua | Secretariat | ||
Crimson Saint | |||
Carolina Saga 1980 芦毛 |
Caro | *フォルティノ | |
Chambord | |||
Key to the Saga | Key to the Mint | ||
Sea Saga |
クロス:Northern Dancer 4×5(9.38%)
主な産駒
2019年産
2020年産
2022年産
関連動画
大暴走?いいえ、圧勝です。
関連項目
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- 0pt